登場人物10数人、20曲以上の歌と語りでロートレックの生涯を描く
19世紀末のパリ・モンマルトル
世紀末のパリは、激動の時代
先が見えない混沌とした退廃ムードの中
芸術活動には新しい風が吹いていた
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
モンマルトルにオープンした巨大エンターテインメント
『ムーラン・ルージュ』のポスターで一躍注目を浴びた画家
彼の作風は、古典的な伝統芸術を否定しながらも
同時代の印象派とも異なる独特のものゆえに
19世末を代表する画家として評価されている
しかし、彼が生きている間は、印象派の画家たち同様
権威的な美術界で正当な評価は得られなかった
ロートレックはフランスきっての名門伯爵家の嫡男に生まれたものの
生まれつき虚弱体質で足に障害があり
発育不全の小人症というハンデを持ったことから
父親の望んだ立派な跡継ぎにはなれず
大衆文化に染まった画家の道を選び
ついに父とは心通わせることがなかった
モンマルトルを活動の拠点としたロートレックは
キャバレーの踊り子や 歌手、そして娼婦といった女達を描き続けた
ロートレックが好んでモデルにした女達は
社会的弱者であり
不幸な生い立ち、挫折、絶望を抱えた
ロートレックの心に寄り添う人々であった
芸術のために放蕩生活を謳歌した彼の人生であったが
やがてアル中、神経障害、そして梅毒が彼の肉体と精神を蝕み
36歳と10か月という短い一生を閉じる
激動の世紀末を生きた壮絶な生き様
だが、最後まで、彼は絵筆を離さなかった
彼が最後まで絵を描くことにこだわり執着した理由は!?